2015年11月8日日曜日

ツール・ド・おきなわ 2015 市民210km レースレポート

午前4時起床。目覚ましと同時に飛び起きて準備。来た来たこの日が!

皮膚に日焼け止めを、ビブショーツのパッドにシャモワクリームを目一杯塗り込む。エアロジャージなのでインナーは着ない。

朝食はどら焼き4つとバナナ一房。食物繊維が少なくローファットハイカーボのもの。受付でもらったメイタンのジェルもついでに飲んでおく。全部で1300kcalくらいかな。

補給食はハニースティンガーGOLD 8本を2つのフラスクに移して水で希釈したもの、スポーツようかんプラス10本、ウイダーインエネイドゼリー4本、2RUN5包。ドリンクはMag-Onを水で溶かしたものを750mLと550mLのボトルに。

5時過ぎに出発。15分くらいで駐車場へ。空気は前後8Barに調整して準備完了。機材詳細は別エントリで。

集合場所でサポートをしていただけるサトシンさんからアドバイスを頂きながら時間が来るのを待つ。本部半島は何でもないところで落車が起きるから注意。スタートしてしばらくは気が抜けないとのこと。

スタート位置は前方1/3くらいの場所に秋田さんと私、多田さんとHonda栃木の山西さんは先頭近く。

必達目標は100位以内、努力目標はリザルト1ページ目(50位以内)に載ること!

遂にスタート。レースデータ詳細はこれもまた別エントリで。

集団走行はいつものレースの通りにやればいい。ただし周囲の警戒はいつも以上に。ブレーキ!の掛け声やこの先狭くなるよ!の声が飛び交い独特の雰囲気。スピード的にはまったく辛くなく徐々にポジションを上げていく。

十分に注意しながら走行するがスタートから15km地点、本部港入り口の危険個所で大落車発生。右カーブの緩い下り坂の途中で幅員減少する地点。私のほぼ真ん前。たまらず右スペースに避けるがそのときのスピードが時速45km、止まれるはずもなく後ろにも突っ込まれ落車。右側に倒れたので右手掌で地面をついてそのままの勢いで一回転。「落車するときはブラケットから手を離さない」原則を瞬時に守り、左手でブラケットは握ったまま。しかし大きく遠心力がかかり左足のクリートが外れてたまらず手からバイクが離れる。左半身を強打。

落車を免れた選手は自転車を担いで先を急いでいく。動かない選手やスタートできない選手、何かを叫んでいる選手がいて阿鼻叫喚の地獄絵図。沿道のスタッフが慌てて駆け出す選手たちに「落ち着け!落ち着け!」と叫んでいる。

もうこれでおしまいか?今年はトラブルDNF続きでうんざりしていた。逆にその経験のおかげでかなり頭がクリアだ。こんな状況で溜息をついた。自分でも驚いた。至って冷静。

バイクは?
ブレーキ、タイヤ、ホイール、ハンドルOK。エンド折れてない。チェーンが外れた以外は問題なさそう。すっ飛んだボトルをとってチェーンをかけなおして出発。変速と身体は走りながら診ればいい。

停止時間は約40秒。高速で進行する時間帯でこれは致命的だ。下ハンもってスプリントに近い体勢で踏んでいった。集団からこぼれた選手や同じく落車した選手の後ろを渡りながら前に進んでいく。

浦崎の交差点を左折して美ら海水族館手前の坂で集団の最後尾に追いつく。

不幸中の幸い、変速は全く問題ない。左膝、左手甲から出血している。グローブがダメになった。骨は折れてない。復帰に脚を使ったこと、怪我したことは気にしないことにした。秋田さんと少し言葉を交わして心を落ち着かせる。

水族館過ぎてからのアップダウンで元の位置に戻る。それ以降はほぼサイクリングペースで進行。本格的な登りの前に補給をちょっとずつしながら。

58号線に入って海岸線を進行していく途中で山西さんを見つけ、しばらく後ろで走る。プロ選手の後ろなら安心。隣にスペースが空いた隙に上がって挨拶、登り前の位置取りなどアドバイスをもらう。

勝負どころの普久川の登りを前に位置取りの為集団が道いっぱいに広がっていく。山西選手のアドバイス通り右端から登りに入る。ただ少し後ろ過ぎた。登りが遅い選手を交わして走っていくのでスピードが乗らない。山西さんの背中が遠くになっていく。やばい!ギャップを誰も埋めにいかない。

落車の影響で左臀部が過緊張していて強く踏むと攣ったような感じになる。先頭集団の最後尾がカーブの先でちらちら見えるのに全く追いつけない。

ここで順位を左右する大きな決断を迫られた。このまま踏みまくって前に追いついてトップ集団からこぼれた少人数の選手とローテしながら行くか、無理せず第3集団(後で判明したことだが、トップ集団が割れて私が牽いていたのが第3集団だったらしい)で行くか。

辺戸岬の方は下見してないし、奥の登り、二回目の普久川が控えている以上人数が多い集団を選択した方がいい。なにより怪我しているし。順位は下げることになるが安全策を取って第3集団を選んだ。トップ集団からどんどん人が落ちてくるだろうから、そのうち集団の人数が増えてもっと楽ができるはず。前に追いつくのが正義なんだろうけど。

普久川の第一給水所で空になったボトルを1本捨て、補給。サトシンさんからもらうつもりだったが探してもいない。と思ったら見つけた。30秒差!と教えてくれた。OKサイン出してダウンヒル。

第3集団は20名ちょっとか。ローテーションしながらいくがうまく回らない。先頭を牽くときは速度維持するだけでいいのになぜかみんな激踏みする。牽き終わって減速するところをなぜかずっと踏み続けている。チーム所属選手ばかりなのに誰にも教わらなかったのか。そんなんじゃ脚終わっちゃうよ?今思い返せば、この時点で一緒だった選手のほとんどは最後まで残っていなかった。

左手はヤンバルの森、右手は広大な青い海、正面からは強烈な向かい風、人工物は道路だけ。人間が存在することが不思議になるくらい、恐怖すら覚えるくらい荘厳な風景が続く。

奥の登りはテンポでやりすごしたが、灼熱地獄。軽く脚が攣り始める。二回目の普久川の登りへ。みんな疲れてきたのかサイクリングペース。この速度で大丈夫かな?と不安になったけど逆に助かった。予想通りトップ集団から落ちてきた選手を吸収しながら進行。いつの間にか多田さんもいた。プロトンリーダーのような存在感。尊敬する。

普久川の登りをクリアして脚が本格的に攣り始める。ペダリングを崩さないように心がける。

トップから落ちてきた選手で集団は増えて40~50名程に。フリーダムの岩佐店長もいた。「トップ速すぎだろ。。。」とぼやいてた。ほどなく消えていった。

とりあえず、実力的にもこの集団なら安全に進行できそう。今更集団破壊する選手もいないし、無理して前方に上がる必要はない。国頭村~東村の激しいアップダウンを無理せずこなしていく。この間にできる限りの補給をとる。首や腕をさすると白く結晶化した塩分がジャリジャリ言っている。全部自分から出たものだ。

いよいよ厳しくなってきたのは慶佐次あたりの長めの登りが連続するところ。ここで集団がどんどん小さくなっていく。全身が痛い。大浦につくころには集団は20名ちょっとくらいまで減っている。後ろ見たら全然人がいない。このまま最後の羽地ダムの登りへ。見晴らしのいい橋に差し掛かった時にはすでに両太腿と左腰が攣っていて身体が完全に終了。とうとう集団から千切れる。

サトシンさんが橋の最後にいて応援してくれている!それを糧に精神力で回す。心は死んでいない。

ダムに近づくにつれ沿道の応援が増えていく。とにかく全身が痛い。最後のダウンヒルは、カーブで踏ん張ろうとする足首を攣ってしまうので安全第一で下る。前後に誰もいない、独走。

名護市街地に入り残り10km、ジャスコ坂は全身でペダリング。何度も言うが全身が痛い。苦痛から解放されるためだけに進む。

58号線を左に曲がって最終ストレート。沿道の歓声が大きくなっていく。300mあたりで「落車したのによく頑張った!」と叫んでくれた人がいた。こみあげてきた。
一つでも順位を上げたい!その一心で残り100mできる限り踏む。一人交わしてゴール。

・ツール・ド・おきなわ 2015 210km 66位 5時間59分19秒 +31分11秒 平均時速35.06km/h

生命力を問われるレースだった。

こんなにも苦痛に満ちているのに、毎年挑戦し続ける選手達の気持ちがよく分かった。それほどこの大会は格式が高く美しい。夢のような6時間。

また強くなって戦いに来よう。

サトシンさん、応援ありがとうございました!
(写真お借りします)





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